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2015年12月07日

るを得ない工

「去年の今頃(いまごろ)だったねえ、姉さんが行ったのは。あれからもう一年か。」と呟(つぶや)き、何か兄さんから事件の情報を得ようと、たくらんだが、見破られた。
「一年でも一箇月でも、いったんお嫁に行った者が、理由もなく帰るなんて法はないんだ。進は、妙に興味を持ってるらしいじゃないか。高邁(こうまい)な芸術家らしくもないぜ。」
 ぎゃふんと参った。けれども僕は、下劣な好奇心から、この問題をスパイしているのではないのだ。一家の平和を願っているからだ。また、兄さんの苦しみを見るに見かねて、手助けしようと思っているからだ。でも、そんな事を言い出すと、こんどは、生意気言うな! と怒鳴られそうだから、だまっていた。このごろの兄さんは、とてもこわい手腳冰冷
 夜は寝ながら、テアトロを読みちらした。

 晴れ。夕刻より小雨。学校へ行ったら、きのうもやはり、靖国神社の大祭で休みだったという事を聞いて、なあんだと思った。つまり、きのうと、おとといと二日つづいて休みだったのだ。そうと知ったら、もっと安心して、らくらくと寝ていたものを。どうも、孤立派は、こんな時、損をするようだ。でもまあ、当分は、孤立派で行こう。兄さんも、大学では孤立派だったらしい。ほとんど友人がない。島村さんと、小早川さんが、たまに遊びに来るくらいのものだ。理想の高い人物は、どうしても一時、孤立せざ合になってしまうものらしい。淋しいから、不便だからと言って、世の俗悪に負けてはならぬ。
 きょうの漢文の講義は少し面白(おもしろ)かった。中学校の時の教科書とあまり変りが無かったので、また同じ事を繰り返すのかと、うんざりしていたら、講義の内容がさすがに違っていた。「友あり遠方より来(きた)る。また楽しからずや。」という一句の解釈だけに一時間たっぷりかかったのには感心した。中学校の時には、この句は、ただ、親しい友が遠くから、ひょっこりたずねて来てくれるのは嬉(うれ)しいものだ、というだけの意味のものとして教えられた。たしかに、漢文のガマ仙(せん)が、そう教えた。そうして、ガマ仙は、にたりにたりと笑いながら、「たいくつしている時に、庭先から友人が、上酒を一升、それに鴨(かも)一羽などの手土産をさげて、よう! と言ってあらわれた時には、うれしいからな。本当に、この人生で最もたのしい瞬間かも知れないAmway安利。」

とひとりで悦にいっていたものだ。ところが、それは大違い。きょうの矢部一太氏の講義に依(よ)れば、この句は決して、そんな上酒一升、鴨一羽など卑俗な現実生活のたのしみを言っているのではなく、全然、形而上学(けいじじょうがく)的な語句であった。すなわち、わが思想ただちに世に容(い)れられずとも、思いもかけぬ遠方の人より支持の声を聞く、また楽しからずや、というような意味なんだそうだ。的中の気配を、かすかにその身に感覚する時のよろこびを歌っているのだそうだ。理想主義者の最高の願望が、この一句に歌い込められているのだそうだ。決して、その主人が退屈して畳にごろりと寝ころんでいるのではなく、おのが理想に向って勇往邁進している姿なのだそうである。また楽しからずやの「また」というところにも、いろいろむずかしい意味があって、矢部氏はながながと説明してくれたが、これは、忘れた。とにかく、中学校のガマ仙の、上酒一升、鴨一羽は、遺憾ながら、凡俗の解釈というより他(ほか)は無いらしい。けれども、正直を言うと、僕だって、上酒一升、鴨一羽は、わるい気はしない。充分にたのしい。ガマ仙の解釈も、捨て難(がた)いような気がするのだ。わが思想も遠方より理解せられ、そうして上酒一升、鴨一羽が、よき夕(ゆうべ)に舞い込むというのが、僕の理想であるが、それではあまりに慾(よく)が深すぎるかも知れない。とにかく、矢部一太氏の堂々たる講義を聞きながら、中学のガマ仙を、へんになつかしくなったのも、事実である。やっぱりことしも、中学で、上酒一升、鴨一羽の講義をいい気持でやっているに違いない。ガマ仙の講義は、お伽噺(とぎばなし)だ住宅設計

Posted by 千言萬語說不清 at 18:14│Comments(0)
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