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2016年11月07日

迷うほど残念



 なかなか自分の見知った場所には着かない。途中「NASA」という建物を横目にした。郊外地に突如として現れた看板は周囲の住居や商店からはだいぶ浮いている異質な様子、一体なんの建物だろうか。少し気になったが、すでに日は暮れかけていたので足を止めずに歩き続ける。後でガイドブックを確認したが紛らわしくもディスコとのことだ。ネーミングセンスが微妙である。
 
 道の途中でコリント様式?の立派な建物の銀行を見つける。一旦休憩しようと階段に座る。しばらくすると婆さんと少年が寄ってきて金銭をせびって来るのだった。こちらの片言の英語が全く通じず、「I’m Poor」と何度も繰り返したがやはり無駄らしい。見るからに向こうのほうが現実的で恒久的な逼迫状態にあえいでいるようだったし、こちらは相方に乗せられて始めたこととはいえ、すき好んでの貧乏旅行だ。
 100Bを渡すと喜んで何度も礼を言われた。正直に言えば感謝され悪い気はしないという結構な内心でまずいたので、行為の直後から発生した自らを咎める内心こそが一番意味のない、正確には自分のズルさなのだと思う。
 金を受け取った婆さんは、私の目の前で意味不明のジェスチァーをするのだった。どうやら感謝の気持ちを伝えるものだろうかと最初は考えていたが、ところがいつまでもしつこく繰り返しているのでその表情や手元の動作を見ると、どうやらもう少し欲しいとする要求みたいだった。
 どうにも閉口し寸前の罪悪感やらを完全に失い、しかしいまさら文句を言う資格はないのかもと、なんだか付け込まれた側の弱気にもなりつつであった。旅ももう終わりだしこの国の通貨もあまり必要ないかもしれないなどと考え、あくまでも自身の決定であるとしたい最後の抵抗のため改めて少し悩んでみることにする。もちろん日本円に両替も出来るとはいっても、元々10万円分も持ってきていなかったしそれも使い切りそうだったので、帰るまでに全て吐き出すつもりでいたのは以前からまさに思っていたのだ。ただこの老女に金を渡すタイミングが、旅の所持金を使い切る皮切りになっていいのか、どうか。
 実際には何かがあるのかはっきりしないまま、まあいいんだと納得する。言葉の通じない相手に目の前で懇願され待ち続けられる圧力に耐え切れず、深く考えることを止めにして二度目の100Bを渡す。ついでにやり取りを始めたあたりから思いついた目的を果たすため、いや今では唯一残された失地回復の交換条件として婆さんに道を尋ねることにした。少しだけ体力の回復した私は、階段から立ち上がりもう一歩きするつもりだった。照明が届いて文字が読める程度に明るい建物の下にまで婆さんを呼びよせ、ガイドブックの該当箇所に指をさすが……。

 やはり、婆さんは目の前の若者が指差している場所が分からないようだ。少しばかりな気持がないわけではなかったが、そもそも地図が読めるのかどうかも疑わしい老女なのだ。
 仕方なく歩き出し数十メートル先、ふと後ろからする声が気になり振り返ってみる。婆さんとモトサイ(有料バイクタクシー)の人間がなにやら話しているのが見えるのだった。しばらくその様子を伺っていると婆さんが私を手招きしてきた。近づいて行く最中にも何やらの手振り、30Bで地図の場所まで乗せてくれると教えてくれているのかと思い、少し迷ったのち財布から30Bを出そうとすると、婆さんは50B出せと言っているのか指を五本私の顔の前に広げた。釣りを出すことをこちらに伝えようとしている意図も理解出来た一方で、……ほとんどいやな予感しかしない。
 モトサイのオッサンの胴に手を回し乗っていると、出発して数分でバイクは減速し路肩に向かって行った。やけに早いと思ったらただのデパートだったにも関わらず、彼はそこに降りろと釣りも返さずにそのままどこかへと走って消えてしまったのだ。奴らグルだったのかあるいはこちらの発音でも悪かったのか、しかし確かに「ファランポーン」と旅のあいだ現地の人に何度も通じた発声でもってゆっくり言ったはずなのに。

 腹を立てながらも、仕方なく大きな道路を真っ直ぐ歩いていたところでトゥクトゥクを見つけてそれに乗る。行き先を告げ料金を決めずに猛スピードで走りだす。3~40分は走ってからトゥクトゥクは止まった。
 料金を交渉したら150Bと言ってきたので、高過ぎると80Bにまで値切ってみると運転手はそれじゃ無理だと最初驚いてみせた顔をして、続いて絶対に無理だと意思表示のために顔を大きく左右に振るのだった。100、110Bと少しずつ相手の様子を見ていたが、120Bとする向こうからの返答以降全く折れることなく、ただし相手は強気で交渉してくるというより、次第には懇願するような表情なのだ。
 段々悪いことをしている気分になる。質の悪いスレたバックパッカー気取りになってしまったようで、少し反省した。つまり、現地の人にとって生活の糧である各サービスへこちらから支払う対価であるバーツを、妥当な金額以上に値切れるだけ値切るしか考えない、自分にとってのまるでゲーム感覚に、薄ら寒い痩せ細った楽しみを見出すかのような行為に対し。
 確かにファランポーン駅の目の前、私は例のステーションホテルに2泊することにした。金に関するなんやかんやの日であった。  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:04Comments(0)

2016年11月01日

黒い傘をれ掛か

 私の最初期から卒業まで続いた友人は、結局連中の中ではかなりまともな人間だったことは間違いない。
 ラノベが好きらしかったが、卒業と同時に趣味の活かせそうな小さな出版社に就職した年下のガタイのいい彼。また入学前から既にバイトをしていた空調設備関連の仕事位元堂 洗頭水に本格的に骨を埋めようかと思っているんだと、一学年の途中で口にした色男はこっちの業界には別にそこまでこだわっていないらしく、随分あっさりしていた。忘れてはいけないのは、卒業後に大阪の小さな編プロに就職した憂いの睫毛が背筋に何かを感じさせる、〇〇王子君(こんな呼称は私が考案したものでも密かに心の内で名付けていたわけでもなく、一部の女子が勝手に呼んでいたのだ)だ。しばらくして彼はその事務所を辞めたが。
 他に現在でも連絡を取ることのある同級生は、皆まともな人間だった。卒業から数年の月日が流れたというその確かな時間的要請を受け入れ認め、生活基盤を得るための別の活動(仕事)へとより力を傾け始めたことをきっかけとして、踏ん切りをつけたのだろう。若さ故のほとばしる、あるいは暗く淀んだ暗流のような想いは現実の変化とともに昇華していったのではないか。あるいは、そう思いたい。
 それでいいのだ。才能もなく、そうであるならば努力を人の十倍もしないくらいの人間が小説家に成れるはずもない。つまり長老一派の中の数人や誰とはいえな位元堂 洗頭水いが腐った彼女とか、なにより私のような奴は。

 雨の中暗い道を歩いていると段々と身体がだるくなり、近くの電柱に凭らなければ倒れてしまいそうなほどになっていた。
 しばらくじっとうつむいていると、被っていた帽子を後ろから歩いてきた女子高生にひっペがされる。帽子を指先につまみながら暗闇に向かって遠ざかり、笑い声を上げている。持っていたはずだったので、それで殴りつけて奪い返してやろうと思った。

 目の前に、太いマジックインキで乱雑に殴り書きしたようなぐちゃぐちゃな文字、または記号ともはっきりしない線の集まりや模様らしきが現れる。B3サイズ画用紙に書かれていたが、しばらく見ていると突然に回転したり拡大や縮小を始めた。続いて何も描かれていない部分、入り組んだ線で作られた模様の空白部分が激しい明滅を繰り返す。紙の中心には何も記されておらず、そこにいつからかボールペンで書いたくらいの細い文字が現れる。何とか読めるかどうか、文章として意味が解読出来そうだと感じる。

 夢と覚醒の境で、もう一度あそこに行って今度こそ絶対位元堂 洗頭水女子高生に復讐しようと頭に浮かんだ。恥を雪がなければ自分も許せない、世界も許せない。

夢を振り返って:紙の中心に文字が現れたあたりから、ああ、ついに頭がおかしくなったかとそんなことを思っていた
  

Posted by 千言萬語說不清 at 11:34Comments(0)

2016年10月24日

単純な擬似

 ですがそれでもひとつ言えることがあるとすれば、元々の原因はこちらではなくあちら側にあるのです。つまり隣村の連中のほうにあったと、伝えられています。皆と同じ韓國 年糕く当然それを信じていました。
 村では戦への機運が高まりつつあり、そのようなことは村長の義理の息子でもある僕の耳にも毎日のように入ってきました。
 それから数週間が過ぎて、ついには自身も出征すべき状況であると判断しないわけにはいかないところまできてしまったのです。義理の父の村長は総大将の跡目が死んだらこの村は終わりだと言い、なんとか止めようとしているようでした。ですが、この村の勇士は数多の歴戦によって皆華々しく散ったというのが伝えられ、それが子供の頃に昔話として読み継がれていた際には、なんとも体が打ち震えるような感動を覚えたものです。自分もいずれは彼らと同じく勇者の末席にと当時に考えていたことを忘れていません。僕は戦場に赴く決意をしました。

中学生になると小学校高学年の頃にはほとんど少女に傾いていたクラス内の力関係のベクトルは、やや反対に揺り戻されているといっていい。体の成長に関していえば韓國 年糕中学生になると男女の一時的な逆転現象はなくなる。
 ただし相変わらず男子は児童から生徒の時代に至るまで、そもそも同性同士で作ったグループ内での役割や友人関係を最も重視していて、彼らの関係の中で往々にして求められる行動やその性質は、どうしても乱暴・粗雑なことであったり、幼稚な感覚に異様な執着をしてそこに楽しみを見出したりと、まだまだ同性との関係自体が未熟な形成段階である。
 そういう状態からどうしても抜け出せずにいる同級生に対して、少女は云わばなミニ母親または姉を演じる感覚で、子どもじみた遊びに興じる男子生徒を叱って『みせ』、拙いながらも指導の真似事のようなことをする。

 第二次性徴を迎え身体の変化は目に見えるものとなり、またそれにともなって両性が持つ体の特長などにも無知であるわけにもいかない。男子生徒は体育や部活を通じて徐々に骨や筋肉をたくましくし、さらに身長を伸ばす。肉体の持つ男性側の優位性としての力の比較について言えば、もはやその差は異性とは開く一方である。
 女子生徒はすでに力では勝ることなく、同時に一ヶ月に一回月経を迎えるある種の不安定さを宿す身になる。将来の母体という保護されるべき対象であるといった感覚も、もちろん保健体育の授業だけではなく、直に触れる自らとは異なるその柔らかい肌にも男子諸君は感じ取っているだろう。
 大人からすると、一見してまだまだ小学校時代の延長線上にある関係性が続いているかにも映る。しかし実のところ、一部の男子生徒は既に異性に対してある意味では、押し付けがましくやや一方的な主張や彼女たちの無邪気な力をある程度自由に奮わせて『あげる』、または了解や納得の度合いによっては黙って従うことで場を丸く収める術を心得始めている。女性を立てるという感覚を少韓國 年糕しづつではあっても身に着けているのだ。
 女子生徒も、相手が一歩身を引いている状態であると分かっている上で敢えて怒って『みせる』。あるいはいつも通りの小言を繰り返すなど、相当程度の高度な予定調和と呼べるやり取りも、該当する年齢の両性における関係には存在する。  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:47Comments(0)

2016年08月04日

做一個安靜的女子

生命,承載了太多它本身無法負荷的東西。於是,我開始在安靜中等待,等待它崩塌的那一刻。淩晨,窗外細雨輕敲,帶著我的憂愁,我抱著枕頭,枕著這韓國 泡菜首江南古曲,靜靜地聆聽這些悲傷低沉的韻律,空虛中,我的思緒就這麼一直在不斷地延續……

有些無法訴說的哀傷,有一把無法掌握的心鎖。習慣於淩晨睡去,或失眠。喜歡聽著憂傷的旋律閉上眼睛。許許多多的話,不再說,沉澱下來的思緒,也不再於人前翻閱。偶爾的疼痛,亦習慣了獨自擁抱,輕輕的,輕輕的……生活中,雖說有些東西是活到老,學到老。但卻也有很多東西,始終是學不會,學不來,即使用盡一生。比如,虛偽的面對感情。或者說,用感情去交換某些東西。

我的世界裏,愛憎向來分明。只有我喜歡的,和我不喜歡的。對待自己喜歡的人或物,我會親切地去微笑,積極面對。而對於自己不喜歡的,我便會選韓國 泡菜擇漠然而過。從不想,也絕不委屈了自己。因為我始終堅持,我沒有必要去面對一個自己不喜歡的,一些自己不願意的,甚至是討厭的東西而去奉承、客套什麼。很多人都勸過我,說我這樣不好,容易得罪一些人。我說,我不在乎。真的不在乎。我,與世無爭地走自己的路,我只是不想讓自己活得太累。我為什麼要為了一些對我來說毫不重要的,毫無意義的人或物而委屈了自己呢?我不要,絕對不要!

我亦知道,這個世界,從來不缺如我這般的女子。平凡、靜寂,做著一些不著邊際的,自認為對得起自己的事。時常一個人安靜地坐著、走著……我是從何時起,學會了深遠地隱藏,遠離他人之外,遠離了某些繁雜。我的生活,何時變得如此簡潔,始終不存在陰暗,只是喜歡黑暗。我的心,向來都是透明的,恩怨分明,只是他人喜歡蒙上眼睛觀看。不過別人怎麼看,怎麼想,那始終都是別人的事,終與我無關。茫茫人海,即便是相識,也只不過是過客,轉身後,我依舊是我,你繼續做你。

喜歡下雨的感覺,更喜歡江南的雨。它鋪韓國 泡菜天蓋地,密密麻麻,如絲如紗。這一刻,天地間灰朦朦的一片,一切都變得是那麼的安靜,只有沙沙的雨聲,我仿佛亦能聽到花草們歡快的呢喃聲。這時,心會變得異常的寧靜,想著兒時的一些事,想著同桌的你們……  

Posted by 千言萬語說不清 at 12:56Comments(0)

2016年07月28日

雲は見当たらず

 この週末は一歩も外に出ない決意でミシンの前にいた。ひとdermes 脫毛價錢つは、円形のクッションの、周りがぐるっとファスナーになっているカバーが汚れたので別の布に替えようとしたのだけど、このファスナー付けがなかなかうまく行かなかくて時間がかかった。(久しぶりに円周を計算した!) 後はパンツの裾直しなど。これはお手のもの。買い物は夫が高校野球観戦の帰りにしてくれた。『君の膵臓を食べたい』(住野よる 著)を一気読みした。さらに今日こそはこの日記を更新する決意でもってパソコンのスイッチを入れたのだけど、最初に目についたamazonで本日のセール商品『ガダラの豚1』(中島らも 著)をKindleにダウンロードしてしまい、危うく読み始めるところで日記更新の決意を思い出し、こうして今ここにこんなことを書いている。
 
 読書の夏だ。去年も書いたと思うけれど、読書の記憶は秋より夏に多い。何より涼しいところでじっとしていたい。閉めきった窓、うっすら聞こえる蝉の声。そんなわけで更新は休みがちになる予感だけど、こうして書き始めたから明日も書くのかもしれない。
 
 そうそう、『君の膵臓を食べたい』はびっくりするようなタイトルだけど、猟奇小牛熊證計算説ではなく青春小説だ。ラノベという批判も読んだし、ヒロインが不治の病であるところなど『世界の中心で、愛をさけぶ』のようなものかしら、そういえばあれも夏に読んだなーとちょっと斜に構えて読みはじめたのだけど、もう少し明るさのある友情がメインであり、本好きで人とは関わらず内向きだった主人公(又吉さんみたい)がヒロインの影響で自分を変えていくところなど清々しく読んだ。

 今日は虹の日(日本記念日協会認定)だ。
 7(なな)16(いろ)という語呂合わせらしい。
 
 それでふと思ったのだけど、「虹の向こうに」というときに思い浮かべる方向(?)ってどこが一般的なんだろう。「虹(の橋)を渡って……」と言うくらいだから、虹の上を渡って行く方向(反対側の端の方向)だろうか。……なんか変なこと言ってる気がするけど続ける。
というのもわたしは、虹はアーチ状になっているのを目の前にするせいか、「虹の向こう」といえば、アーチの下をくぐってその向こう側に行くことを思い浮かべていることに気づいたのだ。でも、よく考えるとそれはあまりにも現実的すぎる。

 そもそも虹はくぐるんじゃなく越えるもの?
もちろん、捉え方はいろいろあっていいんだろう。
「虹の向こう」というのは実際の虹云々じゃない、イメージなのだ。
 でもわたしにはやっぱり、虹のふもとというか、橋の起点が自分の方に向いていて、そこに足をかけて渡る(上っていく)……という発想はできない。なぜなんだろう。高いところが苦手だから?
虹の下をくぐって……虹のシャワーを浴びて、その向こう側へ行きたい。
 そう思った虹の日でありました。

 地下から出ると夏の日差しで空も青い。その空を見上げる人が何人かいて、つられて見上げると水滴が顔に落ちてきた。首を巡らせてもあやしい、まるでどこかのビルの窓から撒き散らされているかのような、パラパラまだらな細かい雨だった。  

Posted by 千言萬語說不清 at 14:55Comments(0)

2016年07月19日

描繪我單純的心靈

風,撫亂了我的發,帶來了遠方泥土的芬芳。沙沙的竹林,嬰兒濕疹搖曳了月影的多情。我漫步在光影變換的院子,放飛了蓄滿多少年的思緒。童年時的純潔無暇和天真爛漫的笑容呢,是否還可以在落日的餘輝中揚起。那悠揚清脆和單純婉轉的牧歌呢,是不是還在我們的耳邊響起。那春天爛漫時在萬花叢中的輕嗅,夏日蟬鳴時午後微懶的小睡,秋月無邊時的蕭瑟孤寂,冬時銀裝素裹的白雪飛揚。。。。。。一切的一切,仿佛就在昨日,轉瞬之間流光溢彩的童年卻早已遠去,留下來的,只是一份埋藏心底的美好回憶。

漸至青蔥的少年,開始在迷蒙的眼眸中探索新奇的世界,嬰兒敏感那時的我總在想為什麼會日落月升,為什麼落葉會去歸根,雨下了怎麼會有彩虹,看到飛起的葉子我們跑去追逐著風。我們開始打開自己懵懂的心,去感受我們不曾觸摸的紅塵,我也開始用這神奇的色彩。

時光老去了,我也開始慢慢長大。經歷了愛恨情仇,經歷了滄海桑田,我在愛與恨的幸福與傷痛中開始經歷不一樣的人生,我們歡笑著,面對幸福的點滴,有時也悲戚著,在午夜夢回。而我現在微笑著,遙想遠方的倩影,不知道現在的你,是否也向我想你一樣的想我。我無言著,因為我知道你不太喜歡我的問候,不太喜歡我過於親密的靠近,我等待著,等待著你那顆飛揚的心什麼時候回落,我只是在這裏倚著門,等待你歸來時的身影。

不知不覺,夜已深了,月開始了西移,而我的身上,嬰兒濕疹斑駁了多少月的光影,我轉身離去,身後傳過來了遠山上鳥兒的聲音。起床,看著竹子林裏已經開始跳躍的松鼠,還有遠處吹來的山風捎來鳥兒的清鳴。我站在自家三樓的頂上,衣袖裏仿佛盈滿了李子花的香。晨風微微,蕩起了樓上清水的皺紋,也吹散了我淩亂的發。

不知不覺,歲月就這樣流去。我們都在時光變幻的塵世裏掙扎忙碌,失去了太多,也收穫了太多。慢慢的長大,那顆純真的心呢,卻沾染了太多的苦痛與黯然。我們總是在旅途的掙扎中希翼著歡樂的降臨,我們都小心翼翼著,行走在你我都在追尋的幸福之中。也許,我們還有些淚水,也有許多的黯然傷神。  

Posted by 千言萬語說不清 at 17:27Comments(0)

2016年07月11日

以字暖情,愜意平生

轉不完的似水流年,留不住的刹那芳華。驀然回首,jacker薯片錯過的風景在眼中黯然成傷。今夜有風,遙望無邊的夜空。寥寥無幾的星光在閃耀。為這樣的夜色平添了一些憂傷。看著月色品味著杯中的茶香, 習慣了夜的安靜,在這寂靜的夜裏一個人坐在電腦前,敲打著鍵盤,在心底感覺這才是最真實的的旋律。習慣一個人靜靜的流覽著網頁,看著他人的故事。多少過客,多少雲煙,一聲離別,天涯流散。

歲月蹉跎了陌路,沿途撒滿了風景,你儂我爾的星辰宿願,蘆薈gel卻在日升月中落寞了心情。一花一世界,一月一星辰,一份情一顆心,沿途走過,潛默著流年的印記,荒漠等待的蒼涼。兩個人,兩顆心,在紅塵中邂逅,淺談,淡笑,牽手,行走,卻找不到十字的交口。於是轉身淚流,輕推軒窗,一縷寒風透浸骨髓,剪影留痕翩然於紅塵之外,淡泊一抹清愁,層層愁如花瓣雨跌墜風前,身若紫紗心似絮,誰是今霄夢裏人?

似水流年,浮華落定。現世安穩,歲月如初。默然。相愛。寂靜。歡喜。小牧味屋誰驚豔入世?誰一生流離?遺世而獨立,如桃花飄落的殘紅,褪盡芳華,不為誰擾,不為誰留。如此,我拈一支素筆,在風月的歎息聲中,永存這一份刻骨銘心的美麗。在這如蓮的時光裏,輕吟淺唱,只待相遇,莫道相離。紅塵不忘,牽掛不斷。看淡了風月那是假話,遠離了繁華不可能生存,即墨難書,我用辭章寫下一世的不舍,寫下我一世的柔情。我在這一世的朝朝暮暮中,獨守著心中的那抹淨土,開成蓮花的素語,遠離塵世,不被輕易的染上污濁。

歲歲凋零,飛花亂逝的季節,一個有一個的夢悵然落下。翻看著那些古老的篇章故事,彩蝶水袖舞清風,暖玉生煙琴幾何,那些的情緣擱淺,一生的離散,我始終落不下那一筆,終是把思念留在那似水年間。 芸芸眾生,只因身在此情中。回首往日,曾經的桃花路,豔豔的開過幾許?又流連了多少來來往往的過客?若,這一季賞遍瓣紅飛落,你可還有護花的溫柔?若,這一世你飄著的輪回,不是記憶裏的殘影,還會不會有這無期的別離?

風月飛舞,時光消夢,相許如煙花般的繁華,傾覆了虛幻的朝朝暮暮。想像總與現實差距很大,誰又能真正穿越憂傷,疊加的情懷,最終剩下的只有無怨無悔的執著。塵埃中一次靜靜地回眸,成了一道永遠蒼寧致遠的風景。
飛逝的年華,攜一縷舊時的春花秋月,落成宋詞裏的癡戀離殤。多想相逢如夢一場,不在讓失落的青春烙上層層傷,看淡過往,浮生留夢,歲月的情緣,零落成一地的斑斕。那些風輕雲淡的日子,仿佛昨日般清晰。淡看流逝的光陰會帶走多少酸澀的淚水,輾轉的年華又會把多少來往過客無情的淹沒?滾滾紅塵,每一個人都在演繹著自己的故事,人生總是在陰晴圓缺、悲歡離合中輪回,世事如棋布迷離,一局擺上誰對奕?若得識破此中意,落子皆輸亦無悔。
  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:04Comments(0)

2016年07月11日

以字暖情,愜意平生

你我的相識,偶然,還是必然?命運的神,在生命中圈住了一個又一個人,我在其中,你亦在其中。一座空城,鎖住了誰的半壁江山?一句再見,跌碎了誰的幻海心田?望著昔日的庭院,而今破敗不堪,看不到舊時堂前,燕來燕往,找不到曾經的,地老天荒。你如 一葉扁舟孤帆遠航,我望穿秋水泅渡在你的心海。紙上寫流年。情海一片天,當我們掙脫不開漫天的情網時,那一刻,便都已淪陷了,當前世的債遇上今生的情,不 能左右的未來,是誰將誰的陪伴畫上了句點。

那一年,在分別的站點,淚水模糊了彼此的視線,話語在心口難開,轉身的時刻,淚落成海。那一年我正如煙雨。而你卻最愛天青色,於是便應了那首歌。“天青色等煙雨,而你在等我。南北隔江千萬裏,門環惹銅綠。我記得那一年我只是孤身一人去看一場花事。而我路過江南小鎮卻不知怎的惹了你。你說這世間愛好文字的女人都是前世為愛墮落人間的精靈。或許我也是其中之一吧。

走在寧靜的風情古鎮,走進白牆黛瓦的村落,水鄉湖光的溫柔,古鎮弄堂的寧靜,煙柳畫橋的風景。美麗多情的江南水鄉,也無意中裝飾了別人的夢。歲月深重,總有些滄桑過往。人間煙火,總有些浮華得失。一別成永恆。繁華落盡,我在天涯海角將思念放入漂流瓶任它漂泊,等待著停靠在那個彼岸,可鏡花水月是你和我。夢裏江南,你的相思雨,我的雪花飛。

歲月微涼,一場漫漫煙雨,淋濕了我的記憶,那黛色霜青的江南,留下了我溫婉纏綿的夢。那煙雨朦朦的江南,模糊了你眼角微微的思念。一闋憂傷擾亂半生安寧,心之彼我亦用靜柔清律譜一曲琳琅相對。陌上紅塵,風送客來,醉飲戲夢,邂逅花開。夢裏,片片飛花各嬌柔,墨香,點落字暖情安然。字句拈來,不為筆墨生花,只為逸興遄飛。
  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:03Comments(0)

2016年06月23日

隨行淚裏寫兩望

玲瓏河畔一分秋,半滴心隔半世淚,Unique Beauty 好唔好栩栩歌歌不曾語,茫然紛飛念曾離,猛轉身,心轉隔,斷紅淚離夕陽落,紅塵未許心曾測,看盡思緒萬千變,心不曾傷傷往過,緣曾別,心曾見,減去心痕見淚痕,別緣不別夢中聚,一份相思一分情,十分相思傾心夢。

天下如同一個環,從內看,自己太小,從外看,自己太大,Unique Beauty 好唔好從上看,下雨滴水慢,晴天還有影子,晚上想看到環的影子,還得等月亮出現,還不能放在被遮住的地方,而握住環的手需要等很多年才會明白,影子是心的一半,一輩子卻是環下的一滴水,看不到真正的美麗,也是沒有影子的傳說。

天聚問而善生,死黑而雨閃,改水修聽組事景,Unique Beauty 好唔好河雷古散化退偏,聽道白雪閃謀渡,數因整水落說知,賣江起慧明雙惡,靜說早分感話觀,樣黑果相陰風黑,末知偏風變進雨,圓靜買動調事話,術缺海組話劃天,風整名改修河金。答雪進動謀情買,知感聽術觀景事,天雨偏雪黑晚學,修雙雨逢答散謀,古今雷閃晚學調,晴黑分劃組明水,樣學古河落早因。

陪我經歷風雨的,是那顆疲憊而憔悴的心,喜歡它的起落,能與我共赴千裏,卻不能與它相望一分鐘,它愛我,所以保護我,它疼我,為我而奔波,我錯了,你會痛,我笑了,你會夢,你為我起航,我為你寫傷。

你要記住,武裝自己,貫徹能力,保護心力,改內修外,只要有資本才可以談條件,若沒有雄厚的支配調整分析,若沒有遠觀的判斷應對,那就相當於給別人演戲,自己悲傷,如果背負很多的骯髒去闖蕩,然後放下齷齪的話語,留下謊言拒絕的喜歡,那麼帶動的就是遍地鱗傷。

手下風雲卷名利,舞起乾坤鉤聚散,閱人說事收命數,淚打神州奔波路,慢繞心魂鎖舊魂,引心拉月載雙親,星辰曾有相思弦,漫卷河山灌千秋,貌外行變雪風緣,鬼工一面畫蒼穹,蜃樓影裏天兵入,四季一約心無力,那得心魂驚魄生,難敵時走天畫影,地局再修需幾何。
  

Posted by 千言萬語說不清 at 11:18Comments(0)

2016年06月14日

幸福的感覺溢滿心懷

窗外,是春日芳菲的季節,草長鶯飛,花香滿徑,景色撩人。午後,溫暖的陽光透過窗戶照在身上,暖融融的舒爽無比。沏上一杯綠茶,茶香氤氳的氛圍中打開一卷宋詞,沿著穿越千年古文化的宋詞散落的韻腳,走進悠悠過往的歲月,去體會宋詞的高遠古雅,大氣磅礴與委婉清麗。


宋詞是古代漢族文學閬苑裏的一朵奇葩,宋詞是“千年的線裝美酒,invision group 洗腦是千年的花後,是千年的凝眸”。“以姹紫嫣紅、千姿百態的神韻,與唐詩爭奇,與元曲鬥豔,與唐詩並稱雙絕”,詞句朗朗上口,通俗易懂,音律優美,“豔冠群芳,任是無情也動人。”

品讀宋詞,欣賞她的豪放豁達的胸襟,蘇東坡“大江東去,浪淘盡,千古風流人物”豪情萬丈的氣度,“亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪”狂風巨浪洶湧澎湃的恢弘氣勢,“會挽雕弓如滿月,西北望,射天狼。”的沖天激情,“三十年功名與利祿,八千裏路雲和月”是壯志滿懷,辛棄疾“千古興亡多少事,不盡長江滾滾流,坐斷東南戰未休”的壯志未酬,“先天下之憂而憂,厚天下之樂而樂”以天下為己任的寬廣胸懷。

品讀宋詞,欣賞她含蓄委婉的欲語還休:“花自飄零水自流,invision group 洗腦一處相思,兩處閑愁。”,“此情無處消除,才下眉來,卻上心頭”的傷感無奈,“問君能有幾多愁,恰似一江春水向東流”的故國家園情結,“月上柳梢頭,人約黃昏後”的相思期盼,“和羞走,金釵溜,卻把青梅嗅”的羞澀俏皮,“碧雲天,黃葉地,秋色連波,波上寒煙翠”的思家愁緒,“金鳳玉露一相逢,便勝卻人間無數”美好驚豔。

品讀宋詞,更欣賞她那種“竹杖芒鞋輕勝馬,一蓑煙雨任平生。”的開闊豁達的意境,“人間有味是清歡”的悠然淡泊情懷,“茅簷低小,溪上青青草。”的田園詩意,“花褪殘紅青杏小,燕子飛時,綠水人家繞。”的寧靜鄉村氣息。

白落梅說“每個人的前世都是一株植物,周海媚 膠原抗老槍或者說今生總有一種植物和自己結緣。”,那麼,就讓我們走近這些植物吧,不妨和青山碧水為伴,不妨和明月清風為 鄰。如有可能,真想在這青山綠水旁建一座小木屋,小屋不必寬敞奢華,只求能夠庇護自己的身軀及所有的夢想:朝起看白雲出岫清流潺潺,晚歸看星斗滿天聽草蟲 呢喃,其樂融融,詩趣盈懷。

設想一下小屋左側的空地,可種上一畦韭菜,一畦菠菜,幾畦油菜,清晨,滿園青菜擁抱著滿畦的露珠,晶 瑩透亮青翠欲滴,生機盎然。圍著園地紮一圈籬笆,籬笆上爬著四季豆,眉豆,菜豆等各種豆類;小屋的右側種上幾棵桂花:金桂丹桂四季桂,幾棵各種顏色的茶 花、月季花、杜鵑花,院牆上爬滿五顏六色的薔薇,春天,鳥兒鳴翠,花兒競相開放爭奇鬥豔;秋天,碧水長天下,桂花十裏飄香,花團錦簇,燦若雲霞,花叢中蜂飛蝶舞,蔚為壯觀。

小屋後面種上果樹,桃李杏櫻桃一應俱全,鮮豔的桃花,委婉的杏花,清雅的梨花,花飛花謝花滿天,自在飛花輕似夢,此情此景究竟有多唯美多驚豔?再種上幾棵竹子,細雨紛飛飄灑時,竹林聽雨更是清雅無比,曲在雨中飄,韻在心中成。

院中擺上一張石桌幾個石凳,閒暇時邀上三五知己來此小坐賞景品茶休憩,新鮮的時令小菜、山肴野蔌素炒盛盤,林溪垂釣,溪深魚肥,杯盤隨意擺上,遠離塵囂 的縷縷天然清新口味讓遠道而來的朋友齒頰生香,胃口大開繼而拍桌叫絕。觥籌交錯間,主醉賓歡,屋後山林裏,鳥兒恣意歡歌,樂無止境。在這裏,所以的憂慮都 是徒勞和多餘,所有的煩惱都會瞬間化為烏有。眼前只有看不完的美景,聽不夠的清音,心情無比愜意。清涼的小屋裏,素手焚香,煮字烹茶,潑墨寫意……悠然閒適,自在從容。  

Posted by 千言萬語說不清 at 16:40Comments(0)