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2018年03月14日

躺在玻璃屋裏看極光


北極光是“狐狸之火”的意思,芬蘭人認為是因為有一只神奇的狐狸在雪地裏奔跑,其尾巴掃出雪花,在月光的反射下發出五彩斑斕的光輝。當神奇的北極光照亮天空時,這世間所有的光芒都將黯然失色。


芬蘭拉普蘭地區從羅瓦涅米起,北至挪威邊界,幾乎全境都在北極圈內。拉普蘭這個詞在芬蘭語中就是“遙遠的地方”。是全歐洲看到極光概率最高的地區之一,它以一年有將近 200 天時間可以看見極光而聞名天下。這裏每年10月一直要到第二年的5月都是冬季。到了冬至前後,人們可以親身感受到極夜。不同於阿拉斯加的凜冽、冰島的荒蕪、挪威的硬朗,地處北極圈內的拉普蘭地區卻顯得格外的溫柔,在這裏看極光有個浪漫的去處——玻璃小屋,情侶之間拍拖好去處首選哪個,當然是可以讓情侶之間彼此增加感情,親密無間的地方啦。如果情侶中沒有特別怕黑、特別膽小的人,我建議可以試一下最近非常有名的一個去處,它叫做黑暗中對話。


專門用來看極光的圓頂玻璃屋頂部有著特殊設計,能使整個天空完全進入視野。每年世界各地的旅行者都要提前幾個月預訂這裏的房間。圓形玻璃屋內采用拉普蘭主題裝飾,其中一面透明牆完全隔熱保暖。壁爐的火焰營造出溫暖而愜意的氛圍(如圖②)。透明屋頂確保將璀璨星空和北極光的壯觀景色盡收眼底。玻璃屋走的並非是奢華的路線,客房雖然比不上奢華酒店,卻非常舒適。晚上,不用待在寒冷的室外,只需躺在溫暖的床上,等待紅橙黃綠藍的極光,這種極度反差的感受,是別處的酒店無法比擬的。而白天,則可以在溫暖的房子裏遠望被白雪覆蓋的森林和山川,一切都是那么純淨,最近我和最好的姐妹逛街的時候就發現了這麼一個親子好去處,希望能夠等BB再大一些就帶他來體驗一下,這個好去處是哪裏呢?那就是能夠體驗不一樣人生的「黑暗中對話」。


冬日裏的拉普蘭,皚皚的白雪為大地披上了銀色的紗衣,陽光幾乎是擦著地平線傾灑過來,溫暖的光芒把銀裝素裹的林海雪原襯托得格外的晶瑩,空氣清新到讓人不忍呼吸。在這純白的世界裏,有著一抹跳動的紅,那是聖誕老人村的色彩,說它是室內活動好去處是因為它能夠讓我們體驗沒有視覺參與的晚餐,可能原本感覺很輕鬆的事情在這時變得難了許多,這絕對是一個放工好去處,也是很多人白領們去了無數次還會戀戀不捨的地方。


關於聖誕老人有許多不同的傳說,最終彙聚在芬蘭的拉普蘭,成為婦孺皆知、家喻戶曉的傳說。而聖誕老人的形象在一位美國詩人的描述下,最終確定下來,面頰像玫瑰,鼻子似櫻桃,歡樂的笑靨,兩腮長滿白胡子,每當聖誕來臨,便駕著馴鹿雪橇來到村鎮裏,把禮物送給表現好的乖孩子。拉普蘭的洛瓦涅米之北,這個坐落在北極圈上的小村莊就是聖誕老人的家。乘坐馴鹿牽引的雪橇,看極夜裏白雪中點燃的點點燭光,在溫暖的壁爐與掛著長襪的木屋中夜話,造訪尖尖木樓中聖誕老人的辦公室,寄出蓋著聖誕郵戳的明信片……這裏便是全世界孩子們寄托希望的夢想發源地,從剛開始“失去視覺”的不適感到後來逐步適應,短短的75分鐘內無論是大人還是小孩子都會受益良多,這才是真正可以帶孩子反復來的周末好去處,也是讓孩子在快樂中學習到一些知識的地方,當然前提是孩子要有一些膽量才行。

  

Posted by 千言萬語說不清 at 16:23Comments(0)

2018年03月06日

腰部勤鍛煉 做健腎強腰操

自古以來,鍛煉腰部的方法有很多,大多是通過松胯、轉腰、俯仰等運動,來疏通腰部的氣血運行,起到健腎強腰的作用。下面是5種效果可靠又可隨時隨地鍛煉的方法。


前屈後伸 兩腿開立,與肩同寬,雙手叉腰,然後穩健地做腰部充分的前屈和後伸各5~10次。運動時要盡量使腰部肌肉放松。


轉胯回旋 兩腿開立,稍寬於肩,雙手叉腰,調勻呼吸。以腰為中軸,胯先按順時針方向,作水平旋轉運動,然後再按逆時針方向作同樣的轉動,速度由慢到快,旋轉的幅度由小到大,如此反複各做10~20次。注意上身要基本保持直立狀態,腰隨胯的旋轉而動,身體不要過分地前仰後合,香港人大都生活於忙碌都市之中,飲食失衡、生活壓力大、缺乏運動等因素都會對心臟造成壓力,定期進行心臟病檢查有助了解自己心血管狀況,及早發現隱形或突發性心臟病,並透過醫生的專業意見及診療,大大減低病發風險,保持健康。


交替叩擊 兩腿開立,與肩同寬,兩腿微彎曲,兩臂自然下垂,雙於半握拳。先向左轉腰,再向右轉腰。與此同時,兩臂隨腰部的左右轉動而前後自然擺動,並借擺動之力,雙手一前一後,交替叩擊腰背部和小腹,力量大小可酌情而定,如此連續做30次左右。


雙手攀足 全身直立放松,兩腿可微微分開,先兩臂上舉,身體隨之後仰,盡量達到後仰的最大程度。稍停片刻,隨即身體前屈,雙手下移,讓手盡可能觸及雙腳,再稍停,然後恢複原來體位。可連續做10~15次。注意身體前屈時,兩腿不可彎曲,否則效果不好。老年人或高血壓患者,彎腰時動作要慢些。


拱橋抬臀 仰臥床上,雙腿屈曲,以雙足、雙肘和後頭部為支點(5點支撐),用力將臀部抬高,如拱橋狀。隨著鍛煉的進展,可將雙臂放於胸前,僅以雙足和後頭部為支點(3點支撐)來進行鍛煉,每次可鍛煉10~20次。心腦血管疾病患者慎練此動作,葛森抗癌療法是很好的輔助癌症治療及預防癌症復發的有效方法,該方法要求病人配合醫生,嚴格按照醫生的指導來進行治療,這種預防治療相結合的治療方法是癌症治療的福音。

  

Posted by 千言萬語說不清 at 17:35Comments(0)

2018年01月22日

長征漫途從頭邁,豪情律動

 “紅軍不怕遠征難,萬水千山只等閑”,艱苦壯烈的二萬五千裏長征之路在曆史長河中熠熠生輝,而紅軍戰士不畏險阻、勇往直前的長征精神也影響了一代又一代人。懷著崇敬的心情,在12月初記者與媒體同仁、專家學者一道踏上了蜿蜒曲折的蔥蘢山嶺,重走了一段紅軍的長征之路。耳邊風聲獵獵似乎依稀可聞曾經激昂的呐喊,腳下的塵土沙石也仿佛染盡了歲月滄桑;靜默了百年的古樹枝葉沙沙作響,宛如講述著曾經崎嶇難行、渡江跨河的漫漫長路上,多少英烈心懷家國、多少忠魂埋骨他鄉。


始於江西,“紅色故都”曆史深厚


夜色漸濃,滿載的大巴車伴著皎潔月光從贛州駛向於都,夏蓉高速的兩側山影重重,接連的坡路和隧道訴說著這一路穿山越嶺的旅程。而即將到來的朝陽與霞光,除了翻開日曆中嶄新的一頁,也將標志著此次重走長征之路的正式啟程,恰如劇場大幕拉開時,舞台上明亮璀璨的燈光,尖沙咀婚宴場地My Day,坐落于鬧市中心及兼備巿區罕有的戶外歐式證婚場地及英倫清新風格的室內宴會廳。


望著車窗外的山水美景,曾經曆史教科書裏的文字,在腦海中變成了一段生動的記憶——外敵入侵,步步緊逼危機國運;內亂橫行,革命根據地頻遭“圍剿”。第五次反“圍剿”失敗後,紅軍開始戰略轉移,轟轟烈烈的二萬五千裏長征就此開啟。


江西於都的早晨天朗氣清,穿上灰色軍裝、紮緊層層綁腿,即將踏上長征之路的“紅軍隊伍”齊聚中央紅軍長征出發地紀念廣場,朝氣蓬勃的初陽為寬闊的場地注入著活力,浩蕩的長征隊伍就此開拔,從中央紅軍的始發地——於都,邁向“紅色故都”瑞金。


我對於瑞金的印象,大部分來自學校書本中的表述,而當親身走進這座在中國革命曆史上書寫了光輝篇章的城市,才更理解了導遊口中對瑞金的描述——這裏是“一村一都市”“一景一紅城”;一座宗祠,訴說著革命的前世今生;一口紅井,浸潤過幾代人的心靈;一片舊址,銘刻著偉人經天緯地的身影;一草一木,留下先烈的血跡;一山一水,訴說著蘇區精神。


在前往瑞金“紅色搖籃”景區的路上,我打開發到每個人手上的行程路線安排表,看到第一個景點“紅井”時不禁有些疑惑和好奇,“紅井”難道就是一口井?當車抵達目的地,率先下車的我看著眼前的情景不禁有些目瞪口呆,因為眼前除了青草綠樹,便只有一口被包圍起來的石井,從外表看來,與鄉野中常見的井口似乎別無二致。而當在工作人員的帶領下慢慢走近“紅井”時,井口後的石碑上所刻著的赤金文字——“吃水不忘挖井人”,讓我恍然大悟,原來這句家喻戶曉的句子中所說的井,便是眼前的這口“紅井”。


我們還有幸在工作人員的幫助下,體驗了“紅井”取水。身著灰色軍裝的我們圍在井邊,認真地觀察打水過程,在同心協力打出井水後,大家綻放出喜悅的笑臉。飲一口清冽的井水,遙想當年在毛主席帶領下的紅軍戰士,一鋤一鍬開井口、挖井水,耳邊悠悠回蕩著那首名為《紅井水》的歌曲:“紅井水喲,甜又清哎,水捧清泉想親人,喝上一口喲紅井水,一股暖流湧上心……”


離開了紅井景區,不遠處便是被當地老百姓稱為“一頂紅軍留下的八角帽”的中華蘇維埃共和國臨時中央政府大禮堂,這裏曾經召開了第二次全國蘇維埃代表大會。經年累月,這座舊禮堂的一桌一椅都刻著歲月的滄桑。講台兩旁斜插著的紅色黨旗和上方懸掛著的赤紅條幅,將人們的思緒帶回到了曾經的紅色歲月當中。和身著軍裝的同行夥伴們一起坐在長凳上,望著台上的件件物什,傾聽著工作人員的詳細介紹,身臨其境之中,便更覺感受深刻。


客家味濃,“紅色小上海”風華榮昌


福建省長汀縣與江西瑞金相比鄰,如今已有千年曆史,悠遠的客家文化在這裏留下深刻印記。長汀縣散發著古樸寧靜的味道。走進長汀縣蘇維埃政府舊址的紀念館,入門處便能看見平鋪在整面牆體上的塊塊展板,展板上黑白色的照片訴說著這裏的曆史。而在中間紅橙兩色的亮色展板上,貼著“紅色小上海”字樣,在鎂光燈的照射下引人注目。走進展館,仿真的彩塑人像、桌椅和貨物,讓人更加直觀地通過典型的細節和場景,回想這裏曾經的生活景象,胡菁霖個人分享。


不同於縣城中的熱鬧和擁擠,長汀縣南山鎮的中複村裏,一座古舊的廊橋、一條古老的長街,同樣在史書上留下了筆墨。坐落在蒼翠的松毛嶺下,中複村村口處流水潺潺,一座廊橋連接了兩側河岸,而在廊橋左上的木板上“救國不分男女老幼”八個大字標語清晰可見。工作人員告訴我們,這裏便是當年紅軍的征兵處,前橋的四根柱子上都刻有一條標線,這條征兵所用的標線和帶槍刺的步槍一樣高,身高達到這個高度的青年便可參軍,因而這裏也被稱為“紅軍橋”。


走過簡樸的古橋,一條古道在眼前延展開來。在卵石鋪砌的街道兩側,幾乎每門每戶都插著一面黨旗,微風陣陣、黨旗昭昭。據介紹,這條曾經商賈雲集的古街道,為當年的紅軍長征提供了大批物資,因此便被稱為“紅軍街”。沿著石子路走到紅軍街深處,在觀壽公祠的門匾後側,還懸掛著一塊寫有“松毛嶺戰役指揮部舊址”的匾額,推開高大的木門,裏面古舊的院落便是曾經松毛嶺戰役的指揮部。在這場敵強我弱的慘烈戰役之中,萬餘名紅軍戰士身獻松毛嶺。英勇的紅軍戰士給了敵軍以重創,但卻終因敵強我弱而被迫全線撤退。在觀壽公祠的前方,立著一塊用赤色寫著“零公裏處”的石碑,曾經在松毛嶺戰役中犧牲慘重的紅九軍團便在石塊前的空地莊嚴誓師,踏上了漫漫長征之路。而路行至此的我們,也如同當年的紅軍戰士一樣,接過村民遞來的熱雞蛋、飲上一碗壯行酒,在暮色將至之時開始了新的征程。


由粵入桂,雄關熱血蕩氣回腸


從閩南轉入嶺南粵省的韶關,梅關古道漸漸在眼前延伸開來,從南到北像一條紐帶,把長江和珠江連接起來。梅關古道被兩峰夾峙,虎踞梅嶺,如同一道城門將廣東、江西隔開,曆來是南北交通要道,也是曆代兵家必爭之地。踏上梅關古道前,必經一條蜿蜒的鄉間小路,小路旁的農家屋舍中,生活在此的人們過著寧靜淳樸的生活,時而有家禽從院子中溜出來,卻被我們行進的隊伍嚇得躲了回去。小路兩側的草木蒼蒼,時而有挑著擔子的農家人從我們身旁側身而過,天氣晴好,從高處能眺望到遠處的風景。一路向梅嶺而行,從梅關古道起始處的來雁亭,走到立著寫有“梅嶺”石碑、有“一步跨二省”之說的梅關關樓,兩旁古老的樹木枝葉繁茂,一步之間便是廣東和江西兩省。


在酒海井紅軍烈士墓紀念碑處,我們懷著崇敬之情,為在此犧牲的紅軍戰士們獻上花束。仰望石碑,讓人不禁回想長征歲月裏,紅軍戰士們的英勇奮戰和熱血激昂。從紀念碑前的酒海井向下望去,井下幽深無聲的井水,讓我感到內心深處的寒涼。沉思往事立殘陽,上百名身受重傷的紅軍戰士被棄於酒海井下,而此處曾經灑滿熱血的地方如今已是滿目蒼翠。此刻,仰望著酒海井旁的烈士碑、英雄塚,夕陽餘暉裏仿佛投影著無數在這裏前仆後繼、慷慨赴義的紅軍戰士,他們用年輕的生命澆灌出了如今的草木蔥鬱、繁花盛開。

  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:08Comments(0)

2017年11月14日

鍛煉寶寶記憶力的親子小遊戲

如何進行親子互動?親子遊戲看起來是一個小兒科的互動,但是如果在育兒過程中你很用心與寶寶進行互動,那麽,對幼兒來講,在一定程度上訓練記憶力十分必要。今天,育兒小編為你提供一些寓教於樂的方式,可以教家長怎麽幫孩子鍛煉記憶力。

媽媽今天的模樣。外出的時候和孩子玩個小遊戲,讓孩子看一遍媽媽的著裝、佩飾,然後閉上眼睛或者轉過身去,描述出媽媽穿了什麽衣服,是什麽顏色、什麽款式,有沒有戴耳環、唇膏的顏色、皮包的顏色等。

記事物。有一次和朋友一起出門,他3歲的兒子指著一輛車說:“媽媽,奔馳”。原來,小家夥已經能認出幾十種車的品牌。因為爸爸媽媽發現孩子從小對此感興趣,就開始有意識地教他認識車牌。還有些小朋友喜歡收集汽車模型。通過對這些感興趣的事物的記憶,也可以使記憶力得到鍛煉。

“我們講到哪裏了?”每天給孩子講故事前,可以先問問他:“昨天我們講到哪裏啦?”“故事裏的主人公發生了怎樣的事情?”讓孩子回憶是重新提取信息的過程,也是加強記憶、重新整理儲存信息的過程。還可以在和孩子逛街時問他:“你最喜歡的櫥窗是哪個?”等等。這有助於讓孩子對場景或事物進行回想,都可以鍛煉記憶力。

玩具和個人物品按序歸位。許多媽媽都很頭疼給孩子收拾玩具。其實,可以從一開始就有意識地訓練孩子自己收納玩具。你可以給整理箱編碼歸類,也可以指定什麽玩具放在什麽位置、怎麽放,一一教會孩子,並適當地訓練幾次。這樣不僅訓練了記憶力,也培養了秩序感,養成良好的生活習慣。

記數字。讓孩子記住爸爸媽媽的手機號,甚至爺爺奶奶的手機號,也是一種訓練記憶力的方式。還可以記住家裏的街道位置、門牌號碼等信息。

育兒小編溫馨提示:訓練孩子記憶力的方式有很多種,一些繪本和記憶力訓練工具也是很好的,家長們可以靈活使用,帶著孩子在玩樂中學習成長。

【推薦閱讀】

打造專屬爸爸寶寶的15款親子遊戲

三個小遊戲幫助幼兒開發智力


  

Posted by 千言萬語說不清 at 16:38育兒

2016年11月07日

迷うほど残念



 なかなか自分の見知った場所には着かない。途中「NASA」という建物を横目にした。郊外地に突如として現れた看板は周囲の住居や商店からはだいぶ浮いている異質な様子、一体なんの建物だろうか。少し気になったが、すでに日は暮れかけていたので足を止めずに歩き続ける。後でガイドブックを確認したが紛らわしくもディスコとのことだ。ネーミングセンスが微妙である。
 
 道の途中でコリント様式?の立派な建物の銀行を見つける。一旦休憩しようと階段に座る。しばらくすると婆さんと少年が寄ってきて金銭をせびって来るのだった。こちらの片言の英語が全く通じず、「I’m Poor」と何度も繰り返したがやはり無駄らしい。見るからに向こうのほうが現実的で恒久的な逼迫状態にあえいでいるようだったし、こちらは相方に乗せられて始めたこととはいえ、すき好んでの貧乏旅行だ。
 100Bを渡すと喜んで何度も礼を言われた。正直に言えば感謝され悪い気はしないという結構な内心でまずいたので、行為の直後から発生した自らを咎める内心こそが一番意味のない、正確には自分のズルさなのだと思う。
 金を受け取った婆さんは、私の目の前で意味不明のジェスチァーをするのだった。どうやら感謝の気持ちを伝えるものだろうかと最初は考えていたが、ところがいつまでもしつこく繰り返しているのでその表情や手元の動作を見ると、どうやらもう少し欲しいとする要求みたいだった。
 どうにも閉口し寸前の罪悪感やらを完全に失い、しかしいまさら文句を言う資格はないのかもと、なんだか付け込まれた側の弱気にもなりつつであった。旅ももう終わりだしこの国の通貨もあまり必要ないかもしれないなどと考え、あくまでも自身の決定であるとしたい最後の抵抗のため改めて少し悩んでみることにする。もちろん日本円に両替も出来るとはいっても、元々10万円分も持ってきていなかったしそれも使い切りそうだったので、帰るまでに全て吐き出すつもりでいたのは以前からまさに思っていたのだ。ただこの老女に金を渡すタイミングが、旅の所持金を使い切る皮切りになっていいのか、どうか。
 実際には何かがあるのかはっきりしないまま、まあいいんだと納得する。言葉の通じない相手に目の前で懇願され待ち続けられる圧力に耐え切れず、深く考えることを止めにして二度目の100Bを渡す。ついでにやり取りを始めたあたりから思いついた目的を果たすため、いや今では唯一残された失地回復の交換条件として婆さんに道を尋ねることにした。少しだけ体力の回復した私は、階段から立ち上がりもう一歩きするつもりだった。照明が届いて文字が読める程度に明るい建物の下にまで婆さんを呼びよせ、ガイドブックの該当箇所に指をさすが……。

 やはり、婆さんは目の前の若者が指差している場所が分からないようだ。少しばかりな気持がないわけではなかったが、そもそも地図が読めるのかどうかも疑わしい老女なのだ。
 仕方なく歩き出し数十メートル先、ふと後ろからする声が気になり振り返ってみる。婆さんとモトサイ(有料バイクタクシー)の人間がなにやら話しているのが見えるのだった。しばらくその様子を伺っていると婆さんが私を手招きしてきた。近づいて行く最中にも何やらの手振り、30Bで地図の場所まで乗せてくれると教えてくれているのかと思い、少し迷ったのち財布から30Bを出そうとすると、婆さんは50B出せと言っているのか指を五本私の顔の前に広げた。釣りを出すことをこちらに伝えようとしている意図も理解出来た一方で、……ほとんどいやな予感しかしない。
 モトサイのオッサンの胴に手を回し乗っていると、出発して数分でバイクは減速し路肩に向かって行った。やけに早いと思ったらただのデパートだったにも関わらず、彼はそこに降りろと釣りも返さずにそのままどこかへと走って消えてしまったのだ。奴らグルだったのかあるいはこちらの発音でも悪かったのか、しかし確かに「ファランポーン」と旅のあいだ現地の人に何度も通じた発声でもってゆっくり言ったはずなのに。

 腹を立てながらも、仕方なく大きな道路を真っ直ぐ歩いていたところでトゥクトゥクを見つけてそれに乗る。行き先を告げ料金を決めずに猛スピードで走りだす。3~40分は走ってからトゥクトゥクは止まった。
 料金を交渉したら150Bと言ってきたので、高過ぎると80Bにまで値切ってみると運転手はそれじゃ無理だと最初驚いてみせた顔をして、続いて絶対に無理だと意思表示のために顔を大きく左右に振るのだった。100、110Bと少しずつ相手の様子を見ていたが、120Bとする向こうからの返答以降全く折れることなく、ただし相手は強気で交渉してくるというより、次第には懇願するような表情なのだ。
 段々悪いことをしている気分になる。質の悪いスレたバックパッカー気取りになってしまったようで、少し反省した。つまり、現地の人にとって生活の糧である各サービスへこちらから支払う対価であるバーツを、妥当な金額以上に値切れるだけ値切るしか考えない、自分にとってのまるでゲーム感覚に、薄ら寒い痩せ細った楽しみを見出すかのような行為に対し。
 確かにファランポーン駅の目の前、私は例のステーションホテルに2泊することにした。金に関するなんやかんやの日であった。  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:04Comments(0)

2016年11月01日

黒い傘をれ掛か

 私の最初期から卒業まで続いた友人は、結局連中の中ではかなりまともな人間だったことは間違いない。
 ラノベが好きらしかったが、卒業と同時に趣味の活かせそうな小さな出版社に就職した年下のガタイのいい彼。また入学前から既にバイトをしていた空調設備関連の仕事位元堂 洗頭水に本格的に骨を埋めようかと思っているんだと、一学年の途中で口にした色男はこっちの業界には別にそこまでこだわっていないらしく、随分あっさりしていた。忘れてはいけないのは、卒業後に大阪の小さな編プロに就職した憂いの睫毛が背筋に何かを感じさせる、〇〇王子君(こんな呼称は私が考案したものでも密かに心の内で名付けていたわけでもなく、一部の女子が勝手に呼んでいたのだ)だ。しばらくして彼はその事務所を辞めたが。
 他に現在でも連絡を取ることのある同級生は、皆まともな人間だった。卒業から数年の月日が流れたというその確かな時間的要請を受け入れ認め、生活基盤を得るための別の活動(仕事)へとより力を傾け始めたことをきっかけとして、踏ん切りをつけたのだろう。若さ故のほとばしる、あるいは暗く淀んだ暗流のような想いは現実の変化とともに昇華していったのではないか。あるいは、そう思いたい。
 それでいいのだ。才能もなく、そうであるならば努力を人の十倍もしないくらいの人間が小説家に成れるはずもない。つまり長老一派の中の数人や誰とはいえな位元堂 洗頭水いが腐った彼女とか、なにより私のような奴は。

 雨の中暗い道を歩いていると段々と身体がだるくなり、近くの電柱に凭らなければ倒れてしまいそうなほどになっていた。
 しばらくじっとうつむいていると、被っていた帽子を後ろから歩いてきた女子高生にひっペがされる。帽子を指先につまみながら暗闇に向かって遠ざかり、笑い声を上げている。持っていたはずだったので、それで殴りつけて奪い返してやろうと思った。

 目の前に、太いマジックインキで乱雑に殴り書きしたようなぐちゃぐちゃな文字、または記号ともはっきりしない線の集まりや模様らしきが現れる。B3サイズ画用紙に書かれていたが、しばらく見ていると突然に回転したり拡大や縮小を始めた。続いて何も描かれていない部分、入り組んだ線で作られた模様の空白部分が激しい明滅を繰り返す。紙の中心には何も記されておらず、そこにいつからかボールペンで書いたくらいの細い文字が現れる。何とか読めるかどうか、文章として意味が解読出来そうだと感じる。

 夢と覚醒の境で、もう一度あそこに行って今度こそ絶対位元堂 洗頭水女子高生に復讐しようと頭に浮かんだ。恥を雪がなければ自分も許せない、世界も許せない。

夢を振り返って:紙の中心に文字が現れたあたりから、ああ、ついに頭がおかしくなったかとそんなことを思っていた
  

Posted by 千言萬語說不清 at 11:34Comments(0)

2016年10月24日

単純な擬似

 ですがそれでもひとつ言えることがあるとすれば、元々の原因はこちらではなくあちら側にあるのです。つまり隣村の連中のほうにあったと、伝えられています。皆と同じ韓國 年糕く当然それを信じていました。
 村では戦への機運が高まりつつあり、そのようなことは村長の義理の息子でもある僕の耳にも毎日のように入ってきました。
 それから数週間が過ぎて、ついには自身も出征すべき状況であると判断しないわけにはいかないところまできてしまったのです。義理の父の村長は総大将の跡目が死んだらこの村は終わりだと言い、なんとか止めようとしているようでした。ですが、この村の勇士は数多の歴戦によって皆華々しく散ったというのが伝えられ、それが子供の頃に昔話として読み継がれていた際には、なんとも体が打ち震えるような感動を覚えたものです。自分もいずれは彼らと同じく勇者の末席にと当時に考えていたことを忘れていません。僕は戦場に赴く決意をしました。

中学生になると小学校高学年の頃にはほとんど少女に傾いていたクラス内の力関係のベクトルは、やや反対に揺り戻されているといっていい。体の成長に関していえば韓國 年糕中学生になると男女の一時的な逆転現象はなくなる。
 ただし相変わらず男子は児童から生徒の時代に至るまで、そもそも同性同士で作ったグループ内での役割や友人関係を最も重視していて、彼らの関係の中で往々にして求められる行動やその性質は、どうしても乱暴・粗雑なことであったり、幼稚な感覚に異様な執着をしてそこに楽しみを見出したりと、まだまだ同性との関係自体が未熟な形成段階である。
 そういう状態からどうしても抜け出せずにいる同級生に対して、少女は云わばなミニ母親または姉を演じる感覚で、子どもじみた遊びに興じる男子生徒を叱って『みせ』、拙いながらも指導の真似事のようなことをする。

 第二次性徴を迎え身体の変化は目に見えるものとなり、またそれにともなって両性が持つ体の特長などにも無知であるわけにもいかない。男子生徒は体育や部活を通じて徐々に骨や筋肉をたくましくし、さらに身長を伸ばす。肉体の持つ男性側の優位性としての力の比較について言えば、もはやその差は異性とは開く一方である。
 女子生徒はすでに力では勝ることなく、同時に一ヶ月に一回月経を迎えるある種の不安定さを宿す身になる。将来の母体という保護されるべき対象であるといった感覚も、もちろん保健体育の授業だけではなく、直に触れる自らとは異なるその柔らかい肌にも男子諸君は感じ取っているだろう。
 大人からすると、一見してまだまだ小学校時代の延長線上にある関係性が続いているかにも映る。しかし実のところ、一部の男子生徒は既に異性に対してある意味では、押し付けがましくやや一方的な主張や彼女たちの無邪気な力をある程度自由に奮わせて『あげる』、または了解や納得の度合いによっては黙って従うことで場を丸く収める術を心得始めている。女性を立てるという感覚を少韓國 年糕しづつではあっても身に着けているのだ。
 女子生徒も、相手が一歩身を引いている状態であると分かっている上で敢えて怒って『みせる』。あるいはいつも通りの小言を繰り返すなど、相当程度の高度な予定調和と呼べるやり取りも、該当する年齢の両性における関係には存在する。  

Posted by 千言萬語說不清 at 18:47Comments(0)

2016年08月04日

做一個安靜的女子

生命,承載了太多它本身無法負荷的東西。於是,我開始在安靜中等待,等待它崩塌的那一刻。淩晨,窗外細雨輕敲,帶著我的憂愁,我抱著枕頭,枕著這韓國 泡菜首江南古曲,靜靜地聆聽這些悲傷低沉的韻律,空虛中,我的思緒就這麼一直在不斷地延續……

有些無法訴說的哀傷,有一把無法掌握的心鎖。習慣於淩晨睡去,或失眠。喜歡聽著憂傷的旋律閉上眼睛。許許多多的話,不再說,沉澱下來的思緒,也不再於人前翻閱。偶爾的疼痛,亦習慣了獨自擁抱,輕輕的,輕輕的……生活中,雖說有些東西是活到老,學到老。但卻也有很多東西,始終是學不會,學不來,即使用盡一生。比如,虛偽的面對感情。或者說,用感情去交換某些東西。

我的世界裏,愛憎向來分明。只有我喜歡的,和我不喜歡的。對待自己喜歡的人或物,我會親切地去微笑,積極面對。而對於自己不喜歡的,我便會選韓國 泡菜擇漠然而過。從不想,也絕不委屈了自己。因為我始終堅持,我沒有必要去面對一個自己不喜歡的,一些自己不願意的,甚至是討厭的東西而去奉承、客套什麼。很多人都勸過我,說我這樣不好,容易得罪一些人。我說,我不在乎。真的不在乎。我,與世無爭地走自己的路,我只是不想讓自己活得太累。我為什麼要為了一些對我來說毫不重要的,毫無意義的人或物而委屈了自己呢?我不要,絕對不要!

我亦知道,這個世界,從來不缺如我這般的女子。平凡、靜寂,做著一些不著邊際的,自認為對得起自己的事。時常一個人安靜地坐著、走著……我是從何時起,學會了深遠地隱藏,遠離他人之外,遠離了某些繁雜。我的生活,何時變得如此簡潔,始終不存在陰暗,只是喜歡黑暗。我的心,向來都是透明的,恩怨分明,只是他人喜歡蒙上眼睛觀看。不過別人怎麼看,怎麼想,那始終都是別人的事,終與我無關。茫茫人海,即便是相識,也只不過是過客,轉身後,我依舊是我,你繼續做你。

喜歡下雨的感覺,更喜歡江南的雨。它鋪韓國 泡菜天蓋地,密密麻麻,如絲如紗。這一刻,天地間灰朦朦的一片,一切都變得是那麼的安靜,只有沙沙的雨聲,我仿佛亦能聽到花草們歡快的呢喃聲。這時,心會變得異常的寧靜,想著兒時的一些事,想著同桌的你們……  

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2016年07月28日

雲は見当たらず

 この週末は一歩も外に出ない決意でミシンの前にいた。ひとdermes 脫毛價錢つは、円形のクッションの、周りがぐるっとファスナーになっているカバーが汚れたので別の布に替えようとしたのだけど、このファスナー付けがなかなかうまく行かなかくて時間がかかった。(久しぶりに円周を計算した!) 後はパンツの裾直しなど。これはお手のもの。買い物は夫が高校野球観戦の帰りにしてくれた。『君の膵臓を食べたい』(住野よる 著)を一気読みした。さらに今日こそはこの日記を更新する決意でもってパソコンのスイッチを入れたのだけど、最初に目についたamazonで本日のセール商品『ガダラの豚1』(中島らも 著)をKindleにダウンロードしてしまい、危うく読み始めるところで日記更新の決意を思い出し、こうして今ここにこんなことを書いている。
 
 読書の夏だ。去年も書いたと思うけれど、読書の記憶は秋より夏に多い。何より涼しいところでじっとしていたい。閉めきった窓、うっすら聞こえる蝉の声。そんなわけで更新は休みがちになる予感だけど、こうして書き始めたから明日も書くのかもしれない。
 
 そうそう、『君の膵臓を食べたい』はびっくりするようなタイトルだけど、猟奇小牛熊證計算説ではなく青春小説だ。ラノベという批判も読んだし、ヒロインが不治の病であるところなど『世界の中心で、愛をさけぶ』のようなものかしら、そういえばあれも夏に読んだなーとちょっと斜に構えて読みはじめたのだけど、もう少し明るさのある友情がメインであり、本好きで人とは関わらず内向きだった主人公(又吉さんみたい)がヒロインの影響で自分を変えていくところなど清々しく読んだ。

 今日は虹の日(日本記念日協会認定)だ。
 7(なな)16(いろ)という語呂合わせらしい。
 
 それでふと思ったのだけど、「虹の向こうに」というときに思い浮かべる方向(?)ってどこが一般的なんだろう。「虹(の橋)を渡って……」と言うくらいだから、虹の上を渡って行く方向(反対側の端の方向)だろうか。……なんか変なこと言ってる気がするけど続ける。
というのもわたしは、虹はアーチ状になっているのを目の前にするせいか、「虹の向こう」といえば、アーチの下をくぐってその向こう側に行くことを思い浮かべていることに気づいたのだ。でも、よく考えるとそれはあまりにも現実的すぎる。

 そもそも虹はくぐるんじゃなく越えるもの?
もちろん、捉え方はいろいろあっていいんだろう。
「虹の向こう」というのは実際の虹云々じゃない、イメージなのだ。
 でもわたしにはやっぱり、虹のふもとというか、橋の起点が自分の方に向いていて、そこに足をかけて渡る(上っていく)……という発想はできない。なぜなんだろう。高いところが苦手だから?
虹の下をくぐって……虹のシャワーを浴びて、その向こう側へ行きたい。
 そう思った虹の日でありました。

 地下から出ると夏の日差しで空も青い。その空を見上げる人が何人かいて、つられて見上げると水滴が顔に落ちてきた。首を巡らせてもあやしい、まるでどこかのビルの窓から撒き散らされているかのような、パラパラまだらな細かい雨だった。  

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2016年07月19日

描繪我單純的心靈

風,撫亂了我的發,帶來了遠方泥土的芬芳。沙沙的竹林,嬰兒濕疹搖曳了月影的多情。我漫步在光影變換的院子,放飛了蓄滿多少年的思緒。童年時的純潔無暇和天真爛漫的笑容呢,是否還可以在落日的餘輝中揚起。那悠揚清脆和單純婉轉的牧歌呢,是不是還在我們的耳邊響起。那春天爛漫時在萬花叢中的輕嗅,夏日蟬鳴時午後微懶的小睡,秋月無邊時的蕭瑟孤寂,冬時銀裝素裹的白雪飛揚。。。。。。一切的一切,仿佛就在昨日,轉瞬之間流光溢彩的童年卻早已遠去,留下來的,只是一份埋藏心底的美好回憶。

漸至青蔥的少年,開始在迷蒙的眼眸中探索新奇的世界,嬰兒敏感那時的我總在想為什麼會日落月升,為什麼落葉會去歸根,雨下了怎麼會有彩虹,看到飛起的葉子我們跑去追逐著風。我們開始打開自己懵懂的心,去感受我們不曾觸摸的紅塵,我也開始用這神奇的色彩。

時光老去了,我也開始慢慢長大。經歷了愛恨情仇,經歷了滄海桑田,我在愛與恨的幸福與傷痛中開始經歷不一樣的人生,我們歡笑著,面對幸福的點滴,有時也悲戚著,在午夜夢回。而我現在微笑著,遙想遠方的倩影,不知道現在的你,是否也向我想你一樣的想我。我無言著,因為我知道你不太喜歡我的問候,不太喜歡我過於親密的靠近,我等待著,等待著你那顆飛揚的心什麼時候回落,我只是在這裏倚著門,等待你歸來時的身影。

不知不覺,夜已深了,月開始了西移,而我的身上,嬰兒濕疹斑駁了多少月的光影,我轉身離去,身後傳過來了遠山上鳥兒的聲音。起床,看著竹子林裏已經開始跳躍的松鼠,還有遠處吹來的山風捎來鳥兒的清鳴。我站在自家三樓的頂上,衣袖裏仿佛盈滿了李子花的香。晨風微微,蕩起了樓上清水的皺紋,也吹散了我淩亂的發。

不知不覺,歲月就這樣流去。我們都在時光變幻的塵世裏掙扎忙碌,失去了太多,也收穫了太多。慢慢的長大,那顆純真的心呢,卻沾染了太多的苦痛與黯然。我們總是在旅途的掙扎中希翼著歡樂的降臨,我們都小心翼翼著,行走在你我都在追尋的幸福之中。也許,我們還有些淚水,也有許多的黯然傷神。  

Posted by 千言萬語說不清 at 17:27Comments(0)